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09山陰・山陽6(東行庵) [旅行]

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門司港ICから高速に乗り、反対車線は渋滞が繋がってるのを横目に関門大橋を渡る。
下関ICの次の小月ICで降り、10分ほど走ると下関市吉田町である。

ここは奇兵隊駐屯地があった場所であり、その初代総督であった高杉晋作が下関で亡くなる際に、「吉田へ…」と言い残したことから、晋作の墓はこの吉田と、萩にある、師であった吉田松陰が眠る墓の脇の2箇所にある。
萩のお墓は、私も前日に立ち寄った。
現代の感覚だと、師匠のことを「吉田」と呼び捨てにするのかなあとも思うが、その辺りは私には判らない。
ともあれ、この吉田のお墓は東行庵にある。
東行(とうぎょう)というのは晋作の号であり、平家の時代から鎌倉幕府初期の歌人の西行にちなんで名づけたのだが、萩から見て「東」にある江戸幕府を倒しに「行」くという意味合いもあるようだ。

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東行の歌「西へ行く人を慕いて東行く、心の底ぞ神や知るらむ」は、品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを行ったり、幕府の罪人として処刑された松陰の遺骨を白昼堂々小塚原から世田谷に移して会葬(今の松陰j神社)したりと、晋作の過激な行いが幕府を刺激する事を恐れた世子(藩主の息子)が、晋作を江戸から京都に召還した。晋作はそこで10年の暇を藩に願い出て許され、その翌日に剃髪して僧形となり「東行」と号した。その際の作である。
(これは1863年3月のことだが、この年の6月には奇兵隊を結成しており、この歌は幕府と戦う決意をした歌でもある。)

ただ、この歌は私的には好みなのだけれども、萩の晋作の生家など、この周辺のそこら中に書かれてるので、この時点では少々食傷気味ではあったりした…(^.^;

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東行庵近くでは、ダレた犬がお出迎え。
確かに、本当に5月の頭かよというくらいに暑い日ではあった。

お茶と餅を頂きながら、お話を伺う。
晋作の愛人であった「おうの」が維新後に、晋作の逃亡中の変名である谷潜蔵の谷家を継いだ形をとって谷梅処(梅処も晋作の別名)を名乗り、尼となってここの住職をされていたという話を伺い、司馬遼太郎か何かの本で、伊藤博文とかその辺りの人たちに無理矢理髪を切られて尼にさせられたという話を読んだことがあると言ったところ叱られた。
実際には、自分で墓守をされていて、かわいそうに思った山県有朋が自分の住まいを梅処に贈ったのが、この東行庵の始まりなのだそうだ。
実際にその地へ来ないと分からない話というのはある。

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東行記念館にあった、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4カ国連合艦隊が下関を砲撃し、砲台が占拠されたときの写真。
晋作がいなかったら、この日訪れた彦島が植民地になっていたかもしれない。(晋作が和議交渉をしたが、彦島の租借については上手くごまかした。)

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「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」の有名な文章で始まる、伊藤博文撰の高杉晋作顕彰碑。

東行記念館の売店で、思わず「高杉晋作の歌」と「吉田松陰 留魂録」を買ってしまう。
この最初の冊子によれば、晋作の辞世の句として有名な「おもしろき こともなき世を おもしろく」は、死の前年に詠まれたもので、辞世の句であるという何の資料的根拠もないそうな。

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吉田を後にして、再び小月ICから中国自動車道に乗り、浜田道で日本海側に抜ける。
こちらの方の日没時間は、私の住んでいるところよりだいぶ遅く感じられる。

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そろそろ宿を…と思ったのだが、温泉津で満室だと断られ、大田でも駄目で、とうとう出雲まで出てしまう。
この時点で9時だ。
ところが、出雲でもタウンページで10軒ほどかけたのだが、全て満室。
正にゴールデンウィークの洗礼を浴びていた。

そのうちの1軒で、松江なら部屋を用意できると言われる。
松江は出雲から更に30km行ったところだ。
ウチのほうで言えば、静岡で駄目で富士に回ってくれって所だ。(って、非常に分かりにくい例えだと思うが。)
その時は断ったものの、結局松江まで行ってしまい、面倒臭いんで、松江をベースにすることにしてそのホテルで2泊お願いした。
既に12時近くなっていた。

とりあえず意地でも飲みに出ようと思い、その前に携帯をチェックすると、友人からのメールで清志郎が死んだのを知った。
流石に何ともいえない気持ち(これを書いている今でも上手く整理できていない。)になり、空元気すらなくなったんで、部屋でビール飲んでいるうちに知らない間に寝てしまった。


hikojima.jpg

下関で巌流島でも見ようと彦島へ行ったのだけど、造船所が邪魔で見えず。
対岸はもう九州。
乗りかかった船だと、関門トンネルで小倉へ。

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トンネルも少々混んではいたが、関門大橋の下りは7kmほど渋滞になっていた。
ゴールデンウィークに入ったなあと実感する。

kokura.jpg
curry.jpg

小倉では焼きカレーを食べただけで退散。
とりあえず、九州までは足を踏み入れたよと。
後は地元方面へ基本的に戻ってくるだけだ。

それにしても、巌流島はホントにちっぽけな島だ…
(左半分手前側。解りづらい写真ですまぬ。ちゃんと見たかったら、観光船が下関から出てるようです。)

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【関連記事】
09山陰・山陽1(高梁・吹屋)
09山陰・山陽2(吉田・津和野)
09山陰・山陽3(津和野2)
09山陰・山陽4(萩)
09山陰・山陽5(小倉)
09山陰・山陽6(東行庵)
09山陰・山陽7(出雲・松江・境港)
09山陰・山陽8(石見銀山)
09山陰・山陽9(鞆の浦)
09山陰・山陽10(鞆の浦その2)
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コメント 2

あびっこ

放浪記、久々に読ませていただきました。
PCの調子が悪くて、なぜかずっとアクセスできなかったんだよね。

ETCをまだ着けていない人がいたことに、衝(笑?)撃をうけました。
アナログさん。。。



by あびっこ (2009-07-19 11:42) 

dr_strangelove

ハンドル名を見て、思わず笑ってしまった。
う~ん、こちらでは本格的な遠出をしない限り、結構ETCとは実は必要ないのかもしれぬ。
by dr_strangelove (2009-08-02 13:24) 

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